しばらく、対応がわからなくてご迷惑をおかけしました、
七五三やお宮参りその他諸々の写真表示の不具合ですが
現在は解消したと思います。
ご迷惑をおかけしました。

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前回、十二直や二十八宿について書きました。
暦で一番現在なじみがあるのは、大安仏滅のような六曜でしょう。
本来は、大安仏滅、六曜は、冠婚葬祭に用います。
今では、大安日曜日には、結婚式も、赤ちゃんのお宮参りも、地鎮祭も
全て、大安で行うとよいような世の中に習慣が現れていますが、
六曜が今ほど知れ渡り使用されるのは、戦後です。
赤ちゃんのお宮参りは、本来生まれてから男子は30日目、女子は31日目。
六曜は無関係です。
厄祓いは、節で考えますから、これも六曜無関係。
お正月の初詣や家内安全のお祓いを、仏滅だからと変更する必要はないのですよ。
結婚式と、お葬式を六曜で考えます。
えっ?十二直にも婚礼の吉凶が解説されている!!!ですって!!
確かに市販の暦には書いてありますね。
福岡県神社庁の暦にも書いてあります。
ですが、かつて安倍晴明が伝え、宮中で用いられていた陰陽道の教科書とでも
いいましょうか、「簠簋内伝」の十二直の解説は、結婚に関しては記載されていないと記憶します(うろ覚え)。
どこかで、変わっていったのでしょうが、今でも簠簋内伝は市販されていますから
神社は遵守すべきでしょう、、と個人的には思いますし、神社暦も再検討が必要なのかも知れません。
十二直は、主に建築や神事に関してが本来なのです。
それが、元来の意味にて考え用いれば、六曜と十二直、どちらを選びますか?って悩みは解消されます。

暦は、縦に読むな! 先輩の神職さんに教えて頂いた言葉です。
縦に読むとは、暦のその日がどのような日かを、占う場合、例えば六曜では
大安なのに、その下に続く、十二直や、二十八宿などでは、建築に良くない、結婚にも悪い、されど、他の六曜が仏滅の日は、十二直では建築に吉、などなど、縦に読むと混乱するから、、ではないのです。
そもそも十二直は、かつて宮中では陰陽寮が用い、二十八宿は、宿曜寮が、用いていました。その昔から、十二直と、二十八宿は、吉凶が会うことは少なく、両者はぶつかり合った逸話も残っているようです。
ざっくりと書けばですが、宿曜寮は、南北朝時代に表舞台から消えます。
されど真言宗の開祖空海様が、中国から持ち帰られた二十八宿が、あっさり
消え去ることはなく、必要な人もいるため、暦本には掲載されているのでしょう、現在も占いで用いられているようです。
公式な暦にも、江戸時代の半ばまでは、採用されていたのでしょうか?
渋川春海によって、貞享暦から二十八宿は消えたといわれています。
現在は暦本の出版は、自由ですから、それぞれ生い立ちが違う、二十八宿と十二直を両方載せておけば、どちらが必要な人も購入するでしょうから、読者は混乱するでしょう。
どちらもですが、元々は星の位置を元に個人の運勢を見るものですから、
お日柄を、単純にみるのは、あとからなのでしょうかね。
また、基本的には宗教儀礼に用いられるものでした。
ただ、私が思うにですが、大概が六曜、大安仏滅で、ことは足りますが、
すこし詳しく調べたいならば、その日本での成り立ちや、歴史から考えて
神事は十二直、仏事は、二十八宿で考えれば悩みは少なくなります。
たまに、どちらも吉日が重なりますがその時は、喜べばいいでしょう。
区分けしておけば、撰日が、随分楽になるし、実際陰陽道と神道は通じますし、
二十八宿が仏事に通じるのは、空海様が導入されたと前述したとおりです。
大安仏滅は、六種類しかなくわかりやすいのですが、
これが、今みたいに広く結婚式に用いられるのは
実は戦後なのです。
科学が発展し、迷信など気にする時間の惜しかった高度成長期の
日本社会に受け入れやすい単純さもあったからなのでしょう。
集団就職で上京した、男女が都会で結婚するのが、相次ぎ日曜日以外にも分散させる、つまりは式の日程をコントロールするのに用いられたようです。
つまりは暦を縦に読んではならないのは、その使い分けや成り立ちを昔の人は知っていて、
今のような暦本のレイアウトでも混乱はしなかった、
理解があったからこそ
そもそもが、縦には読んでいなかったのでしょう。
なお、全てにいえることですが、新しい何かがわかったら後日訂正するもしくは別ブログで公開する等あるかと思います。
参考までに、福岡県神社庁の該当箇所を、掲載しておきます。
また紫陽花は、色が変化します。運勢の変化をを連想させる花です。

土用というのは、夏が有名で、丑の日にウナギを食べようの土用です。
土用は、年に四回あり、土をさわると、禍が起きるとされています。
土用には間日があります。間日とはその禍が起きないとされる日です。
たぶん、元々は間日はなくて、何かと不都合が多いので後々設けたのではないかと、
それが、私の推測です。
その昔、土葬の頃、穴をほってご遺体を埋めないわけにはいきませんよね。
夏のくそ暑いときに、ご遺体が数十日埋葬されないなんて冷凍装置なんかない時代とんでもない話ですから、間日を考えたのだと思います。
土用の間日は4日に一度設けられています。
ご遺体を埋めるだけではなく、何か土を動かす仕事に4日に一度間日があればなんとかなると思われます。間日は、四季ごとの土用で異なり、日の干支で決まります。
しかし、連日道路を作ったり、家の基礎を作るようなことは
土用の意味に基づけば本来は行うことではないでしょう。
あくまで迷信ですが。
土用というのは、天地人を流れる気の調整の期間と考えて良いでしょう。
四季それぞれの、気流の調整、気の休息、リセット、そんな風に私は捉えています。
迷信とはいえ、先人が残した習慣を、小馬鹿にして経済成長優先できた日本ですが、
思いもかけない老朽化による事故なんかみると、土用に工事したとか
ちゃんとお祓いをやらなかったとか、あるのかなぁ、なんて考えたりもします。
たぶん、日本史上、最悪に神事が、公から遠ざかっているし、人々も
地鎮祭もやらずに家を建てるのが増えたり、地元の神様にお供えされるお米も
米不足以前から激減しているであろうから、、。
土用の話でしたね、脱線したから終わります。


すごいタイトルとなりました。
でも、書くのが私、単に田舎の神主ですからそんな大層な文章にはならないでしょう。
ここ何年も、日本はすごい災害に直面し、コロナ禍のような疫病にも苦しめられました。
人々がその昔から、神社で祭りを執り行ってきた意味は、
疫病や自然災害に、暮らしを荒らされないためでした。
そもそもが、お米を作り育て、実ったら神様にお供えする、
それこそが、日本で暮らす我々の先祖が、神様と約束した事ともいえます。
穏やかな天候のなかで、疫病などのない空気を満喫して暮らす、
もともと大祓詞などの祝詞から思うに天孫降臨前の日本は
自然も人心も決して穏やかではなかったのかも知れません。
三大神勅といって、天皇が米を育て、神様にお供えする、
人々も、米を育てお供えし、それを頂く、さすれば自然も空気も、そして人々の心も
穏やかであるはずではないでしょうか?それが、神祀りの最も重要なものかと思います。
戦後の日本は、急速に発展し、迎えたバブルの時代には、
本来神のものである土地を転売し大もうけしても
地方の神社は老朽化したまま、現在にいたる社は多々あります。
多くの人は、儲けたお金のそのわずかからも神様に御礼をとは考えなかったのでしょう。
バブル時代の若者が、定年を迎えた現在、
その子やその孫の時代になり、日本人の基本とも言える米が不足しております。
米不足は、どんなバチがあたったかと、昔の人なら考えたでしょうね。
地方の神社は、祭もその準備に必要な、お供えを買うお金にも困窮しており
老朽化した社をどうこう云々どころではないようです。
高齢化により、注連縄など作る人材も育たず、
都会に暮らす人々が忘れてしまい、その2世3世、故郷の神々を知らない人らが
まだ都会で、地域の神社の氏子活動でも行っているならばともかく
町内会に加入しないのが美徳みたいな考えの人が増えれば、
なかなか元に戻るのは難しいでしょうか。
本日はこれまでで。
