一粒万倍日とは、ものごとを始めたりすると籾が稲穂のように大きく実ることから
きており、大変めでたいとされる日です。
一方、悪いことが起きると、長引くともされています。
令和5年8月の頃、この一粒万倍日が、ネットに記載されている日にちと
福岡県神社庁の暦に記載されている日にちが、違うという問い合わせを受けました。
大変ですよね、調べてみましょう。
まずは、一粒万倍日は、陰陽道とは無関係の撰日です。
したがって、陰陽道系の書物には解説がありません。
古くは、万倍といわれていましたが、江戸時代に公式の暦から姿を消しました。
新暦が、採用されてから、一粒万倍日として民間の暦に甦りましたが
となると、定着したのは案外最近かもしれません。
また、万倍日のころと一粒万倍日と名前が変わってからは、
撰日が違います、互換性無しです。
前置きが長くなりました、
どのように違うかと言いますと、
新暦八月の、立秋から白露の前日までの一月間の一粒万倍日が
ネット上には、子の日と未の日とあるのに、
神社庁の暦では、子の日しか記載されてないというのです。
暦によって、撰日が稀に違うのは、他のことでもあります。
しかし、理由を知りたいですよね。
他の暦を見てみました。
東京易占学院からでてる、令和五年観象宝運暦、
東京神宮館からでてる、令和五年神宮館運勢暦、
この2冊をみると、福岡県神社庁と同じ撰日でした。
次に暦の解説書、柏書房からでてる、現代こよみ読み解き事典。
この170ページに、「7月子・未の日」と記載されています。
7月でなくて、8月だろう?と思われると思いますが
ここの7月は実は、新暦8月の立秋から白露前日までにあたる7月節のことなのです。
ややこしいですね。
次に、神宮館よりでている、
占い入門 こよみの基本学という本をみてみますとその194ページに
立秋から白露前日までは、子の日だけしか記載されていません。
福岡県神社庁や、前述の各種暦本と同じ撰日です。
そこで、両出版社に尋ねますと、神宮館は、昔からそうだからという答えでした。
柏書房は、出版から年数もたち担当者も在職されていない様子で、
答えることができるものがいないとのことでした。
両社ともお忙しい中、ありがとうございました。
そうなると、考えなければなりません。
問題点解明のため、整理した表を作成しました。表はクリックで拡大もできます。スマホの場合はスワイプもできます。少し文字が荒いです。
この表でわかるように、節月は干支で言い換えることができます。
その言い換えた、干支が、翌月の一粒万倍日の一つとなります。
もう一つは、午・酉・子・卯この4つの干支の日が一月ごとに順送り、繰り返しです。
最初書いたように、一粒万倍日は、陰陽道に関係ありませんが、
しかし干支を使うなんて、この決まり事は、陰陽道的ですね。
となると、未の日が省かれた原因は、陰陽道がもつ、未の日に由来するかもしれません。
陰陽道における、未の日は、よろずにあまりよろしくない日のようです。
あえて上げるなら、修行や戦争を始めるのに良いという日です。
いくらなんでも今の時代に
修行や戦争は、長引かない方が、用は万倍にならない方がよいですよね、
だから省かれたのではないでしょうか?
また、これ以上の理由も見当たりません。
となると、柏書房のこよみ読み解き事典はなぜ、未の日を採用したのでしょうか?
今一度、表をご覧ください。
立秋の下が、空欄です、この空欄に未の日と入るのは、前の月の干支をみればわかります。
暦の読み解き事典の著者は、2名。
そのお二人は、大学教授や文化人の方のようです。そのため、あまり占術的な視点からチェツクされなかったのかもしれません。
この本は、私も持っていますし、持ってる人は多いようです。
以前本屋さんでも見ましたし、今は廃刊ですが、かなりのロングセラーで、読者も多いとお思います。そのため、この本を頼りとする人は多いと思います。
また、前述2冊の暦は、高島易断系の歴史ある暦本で、
占術家の方々が編纂者のようです。
以上からによる私の憶測ですが、
ネットの多くは、この解説本を元に書かれたのではないでしょうか?
その結果、暦本と違う一粒万倍日となってしまった。
他の、占術家の書かれた書物をみると、未の日は一粒万倍日から省かれています。
一粒万倍日は、占いの世界の話です、科学的な話ではありません。
撰日を占いとみるならば、
縁起を担ぐ意味も含めれば、やはり高島暦や、神社庁暦を信用するのがよいでしょう。
勿論、いや違うよ、こういう理由があるから未の日が一粒万倍日だよ、
ということをご存じならば教えてください。