神様をお祀りする意味

すごいタイトルとなりました。
でも、書くのが私、単に田舎の神主ですからそんな大層な文章にはならないでしょう。

ここ何年も、日本はすごい災害に直面し、コロナ禍のような疫病にも苦しめられました。

人々がその昔から、神社で祭りを執り行ってきた意味は、
疫病や自然災害に、暮らしを荒らされないためでした。

そもそもが、お米を作り育て、実ったら神様にお供えする、
それこそが、日本で暮らす我々の先祖が、神様と約束した事ともいえます。

穏やかな天候のなかで、疫病などのない空気を満喫して暮らす、
もともと大祓詞などの祝詞から思うに天孫降臨前の日本は
自然も人心も決して穏やかではなかったのかも知れません。
三大神勅といって、天皇が米を育て、神様にお供えする、
人々も、米を育てお供えし、それを頂く、さすれば自然も空気も、そして人々の心も
穏やかであるはずではないでしょうか?それが、神祀りの最も重要なものかと思います。

戦後の日本は、急速に発展し、迎えたバブルの時代には、
本来神のものである土地を転売し大もうけしても
地方の神社は老朽化したまま、現在にいたる社は多々あります。
多くの人は、儲けたお金のそのわずかからも神様に御礼をとは考えなかったのでしょう。

バブル時代の若者が、定年を迎えた現在、
その子やその孫の時代になり、日本人の基本とも言える米が不足しております。

米不足は、どんなバチがあたったかと、昔の人なら考えたでしょうね。

地方の神社は、祭もその準備に必要な、お供えを買うお金にも困窮しており
老朽化した社をどうこう云々どころではないようです。

高齢化により、注連縄など作る人材も育たず、
都会に暮らす人々が忘れてしまい、その2世3世、故郷の神々を知らない人らが
まだ都会で、地域の神社の氏子活動でも行っているならばともかく
町内会に加入しないのが美徳みたいな考えの人が増えれば、
なかなか元に戻るのは難しいでしょうか。


本日はこれまでで。

上内八幡宮裏の田んぼ







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