二十八宿と十二直

暦は、縦に読むな! 先輩の神職さんに教えて頂いた言葉です。
縦に読むとは、暦のその日がどのような日かを、占う場合、例えば六曜では
大安なのに、その下に続く、十二直や、二十八宿などでは、建築に良くない、結婚にも悪い、されど、他の六曜が仏滅の日は、十二直では建築に吉、などなど、縦に読むと混乱するから、、ではないのです。

そもそも十二直は、かつて宮中では陰陽寮が用い、二十八宿は、宿曜寮が、用いていました。その昔から、十二直と、二十八宿は、吉凶が会うことは少なく、両者はぶつかり合った逸話も残っているようです。

ざっくりと書けばですが、宿曜寮は、南北朝時代に表舞台から消えます。
されど真言宗の開祖空海様が、中国から持ち帰られた二十八宿が、あっさり
消え去ることはなく、必要な人もいるため、暦本には掲載されているのでしょう、現在も占いで用いられているようです。

公式な暦にも、江戸時代の半ばまでは、採用されていたのでしょうか?
渋川春海によって、貞享暦から二十八宿は消えたといわれています。

現在は暦本の出版は、自由ですから、それぞれ生い立ちが違う、二十八宿と十二直を両方載せておけば、どちらが必要な人も購入するでしょうから、読者は混乱するでしょう。

どちらもですが、元々は星の位置を元に個人の運勢を見るものですから、
お日柄を、単純にみるのは、あとからなのでしょうかね。
また、基本的には宗教儀礼に用いられるものでした。

ただ、私が思うにですが、大概が六曜、大安仏滅で、ことは足りますが、
すこし詳しく調べたいならば、その日本での成り立ちや、歴史から考えて
神事は十二直、仏事は、二十八宿で考えれば悩みは少なくなります。
たまに、どちらも吉日が重なりますがその時は、喜べばいいでしょう。
区分けしておけば、撰日が、随分楽になるし、実際陰陽道と神道は通じますし、
二十八宿が仏事に通じるのは、空海様が導入されたと前述したとおりです。

大安仏滅は、六種類しかなくわかりやすいのですが、
これが、今みたいに広く結婚式に用いられるのは
実は戦後なのです。
科学が発展し、迷信など気にする時間の惜しかった高度成長期の
日本社会に受け入れやすい単純さもあったからなのでしょう。

集団就職で上京した、男女が都会で結婚するのが、相次ぎ日曜日以外にも分散させる、つまりは式の日程をコントロールするのに用いられたようです。

つまりは暦を縦に読んではならないのは、その使い分けや成り立ちを昔の人は知っていて、
今のような暦本のレイアウトでも混乱はしなかった、
理解があったからこそ
そもそもが、縦には読んでいなかったのでしょう。

なお、全てにいえることですが、新しい何かがわかったら後日訂正するもしくは別ブログで公開する等あるかと思います。

参考までに、福岡県神社庁の該当箇所を、掲載しておきます。

また紫陽花は、色が変化します。運勢の変化をを連想させる花です。


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